吉野川沿いを散歩する(前編)
鉄ネタではないのだが、2000年の夏休みは奈良県の吉野川沿いを散歩してきた。
発案と計画は、同行した友人が行った。近鉄の大和上市駅を出発して吉野川沿いに吉野山地を貫く国道169号線を徒歩で南下し、大和上市駅からおおよそ30km離れた奈良県吉野郡川上村の入之波(しおのは)という小さな集落を目指すのだ。入之波には、こぢんまりとした、秘湯「入之波温泉」がある。この温泉を目指しながら、歩いて歩いて歩きまくって、身体にこれでもかというぐらいの疲労を蓄積させてから、一気にそれを温泉で流してしまえ! と。
例えて言うならば、「掃除をするために部屋を汚す」みたいな温泉ツアーである。
途中で滝などを見る時間も欲しいので、この距離を一日で歩くのは困難だ。そこで、どこかで泊まって行程を二日に分けることにした。最初はバンガローに泊まる計画になっていたのだが、残念なことに宿泊を予定していた川上村にはバンガローはおろかキャンプ場すらないことが後から判明。仕方がないので、当初は予定になかったテントを持っていき、どこかに適切な場所があることを期待して、強引に野営を張ることにする。村役場によれば、禁止はしていないとのことだが、積極的に推奨できることでもないようだ。
出発前日は、大阪市内の友人宅に泊まった。当日は早朝から動かなければならないため、交通便利な大阪市内をベースキャンプとしたわけである。このとき、最も心配していたのが天候だ。これから行こうとしている場所は、ただでさえ天候の変化が激しい山間地帯だ。しかも吉野山地といえば日本一の降水量で有名なだけに、天候には慎重にならざるを得ない。大雨の中でテントを張るわけにもいかないから、天気が芳しくないようなら出発前に中止の決断を下さなければならないのだ。
出発当日の早朝、天気予報を確認すると極めて微妙だった。
晴れ時々曇り、ところにより一時あめ・・・
なんじゃそりゃ。無責任さすら感じる予報だが、吉野山地なら十分にあり得る天候だ。「あめ」という文字には多少の不安を抱くが、「ところにより一時」ぐらいなら何とか・・・ 安全のためにも慎重に検討した結果、決行を決めた。メンバーは計三名。7月31日の早朝、近鉄大阪阿部野橋駅から吉野行きの急行に乗り込む。大阪市内は複々線の近代的な高架路をかっ飛ばしていく電車も、橿原神宮前を過ぎ、単線の吉野線に入ると途端に景色が田舎臭くなってくる。そして終点の吉野から二つ手前の大和上市駅で電車を降りたのは、午前9時ごろのことであった。
ここから歩き始めるわけだが、その前に大和上市駅の近くにある老舗の店で「柿の葉寿司」という吉野の名産品を昼食として購入するのだ。塩辛いサバと、甘いすし飯が絶妙にマッチして、これは病み付きになるほど美味である。
大和上市〜五社トンネル
予定では、奈良県吉野郡吉野町の上市から国道169号線を歩くことにしていたのだが、現地に着いてみるとこの道は狭い割にダンプなどの大型車がひっきりなしに走っていて、とてもこんなところを歩く気にはなれない。そこで急遽、国道169号線とほぼ平行して吉野川の対岸を通る県道39号線にルートを変更する。県道とは言え、交通量もほとんどない田舎道なのだ。[付近の地図]
この時点では降雨はなく、ひとまず安心したが、やはり天候が気になる。雲の流れが速く、ときおり美しい晴れ間を見せたかと思うと、写真のように雲が空一面を覆ったりする。もっとも、歩いている間は晴れているよりも曇っている方が断然ありがたい。なにせ季節は真夏、荷物を担いである歩く者にとって、炎天の焼けるような日差しはむしろ恨めしい。
歩くこと1時間半ほど。うまい具合に県道から河原に降りられる場所を発見した。お昼というには少し早いが、ちょうど小腹も減ってきたところなので、先に買っておいた「柿の葉寿司」を頂くことにするのだ。
川には、鮎釣りのオジサンたちがちらほら。ほかにも、地元の中学生と思われる子供達が派手な水遊びをしていた。久々に都市部を離れると、こんなところが長閑で心地がよい。しかし、河原に散乱しているゴミや吸い殻を見るとちょっと悲しくなる。自分のゴミぐらい、責任を持って持って帰ってもらいたいものだ。
食事を終えて一服、この煙草がまた美味かった。
吉野町上市から歩くこと2時間と30分。これまで歩いてきた県道39号線は、吉野町宮滝付近で吉野川を渡り、対岸を通る国道169号線にぶつかる。右の写真は、宮滝の展望台から撮影したものである。[付近の地図]
国道169号線は、この先から大きく湾曲した吉野川沿いを離れ、吉野町宮滝から川上村西河まで三船山を横切って近道するルートを通る。山を登るので勾配は少しきつくなるし、国道は交通量が多くて少々危険だが、吉野川沿いをゆく別の道路を迂回すると10km以上の余計な距離な歩くことになってしまう。それもどうかと思ったので、気は進まないがこの先は国道を通ってゆくことにした。
それ以上に厄介なのが、山を登り切ったところにあるの延長1,360m(ちなみに奈良県第八位)の五社トンネルである。実際にやってみればよく分かるが、歩道のないトンネルを歩くのは、はっきり言って危険なので嫌なことだ。車で差し掛かれば何とも感じないトンネルも、徒歩で通るとなれば相当な恐怖感がある。
だが、このルートを選んだからにはトンネル抜けが嫌だとも言っていられない。
幸い、申しわけ程度の幅だが排水溝があり、一段高くなっていたのでここを歩くことができた。しかし、身体的な安全だけが問題というわけではない。薄暗いナトリウム灯の色に染まったコンクリートのアーチはそれだけでも不気味だし、中で反響する自動車の音は、あらゆる方向から近づいてくるように聞こえてしまう。そうして人の五感を狂わせ、それゆに不安を煽る演出が、隧道には揃いも揃っている。だからトンネルの徒歩通行は精神的な疲労が激しい。
片側は、服が擦れただけで真っ黒になってしまうコンクリートの冷たい壁だ。そしてもう片側では、すれすれのところを大型車が通過してゆき、その度に突風が巻く。暗くて見づらい足元には、壊れたホイールカバーなどの落下物も落ちていたりする。数百メートル程度の先が見えるトンネルならまだ良いが、キロメートルオーダーの出口が見えないトンネルは、永遠に続く地下迷宮のようにも感じられる。
五社トンネル内で町村の境界を跨ぎ、無事トンネルを抜けると、そこは奈良県吉野郡川上村の西河(さいかわ)だ。最終目的地である入之波までの道のりはまだ遠いが、ようやく第一チェックポイントまで来たという感じである。
写真からも分かるとおり、このときから急に雲行きが怪しくなってきた。そこはかとなく雨の香りが漂ってきて、ときおり小雨も振ってくる。まだ時刻は13時を過ぎたところだ、夕方まで何とかこの状態を保ってくれれば良いのだが、ここへ来て本降りになってしまえば、これ以上の厄介はない。
川上村には「蜻蛉の滝」や「不動窟」など、見る場所がたくさんある。追々、ご紹介しよう。
2000/09/16 公開