白浜へ行く


恒例の温泉旅行。今年2001年の夏休みは、和歌山県の白浜へ行ってきた。

事前の打ち合わせで旅行の日程を 8月20日から 8月21日の一泊二日と決め、あらゆる段取りをその日程で整えてしまったゆえに、日程の再検討はもはや利かなくなっていた折りもおり。じわりじわりと日本列島に接近しつつあった超大型の台風11号の上陸予想日時が、この旅行日程と見事に重なっていることをニュースが告げた。あまつさえ、四国を横断したあとに紀伊半島を直撃する可能性も高いという。これから紀伊半島の海岸沿いへ遊びに行こうとしているのだから、まったく冗談じゃない。温泉と海の幸が主な目当てなので、海水浴場が遊泳禁止になる程度なら困らないが、やはり天候が悪いと動きづらい。

出発の前日ともなれば、周囲の意見は皮肉たっぷりだ。

「あの台風、和歌山を直撃するそうやん」
「道路通行止で、帰れんようになったりして」
「いまから和歌山って、台風見物に行くの?」

この時期の台風のことだから、予想進路を逸れてくれるのではないかと淡い期待を抱いているのに、言いたい放題である。瓢箪から駒が出るようなことになれば、あんたがた末代まで祟ったる、と、やや筋違いな感情を抱きつつ、19日の夕刻にベースキャンプとなった泉大津の近くにある友人宅へ向かい、そこで一泊(というか前夜祭)。そして、結局は「まあどうにかなるだろう」といういつものノリで、あるいは運を天に任せてというべきか、8月20日の午前6時過ぎに阪和自動車道の岸和田和泉ICから和歌山に向けて出発した。



白浜
がら空きの阪和自動車道を経て湯浅御坊道路に乗り、終点の御坊ICからは、海沿いの国道42号線を南下する。御坊ICを降りた時分から重たい鉛色の天空からは雨が滴り落ちはじめたが、台風の接近を予感させるような暴風雨ではなく、このぐらいの天候ならまだ何とかなりそうな様子だ。白波の立つ海が道路から見えるたびに、海の向こうでは台風が控えていることを警告されているようでもあったが。

国道42号線田辺バイパスを経て、田辺市からは、かつて白浜道路という有料道路だった県道33号南紀白浜空港線を利用する。繁忙期には混みそうな道だが、この日はガラガラだった。お盆も過ぎ、またラジオのニュースが台風の影響を次々と告げるなか、敢えて白浜へ向かおうという人間は希なのだろう。この道をしばらく走ると、そこは白浜。入り江の海岸線が美しい、海のリゾート地だ。

ちなみに、右の写真は白浜スカイラインの展望台から撮影したもの。この道路も有料道路だったらしいが、現在は無料化されている。


さて、さらに車を走らせ、白浜の沿岸を一周する県道34号白浜温泉線をしばらくゆくと、円月島えんげつとうが視界に入ってくる。

円月島

道路沿いに車を止められる場所があったので、「二輪車を除く」というライダー贔屓な補助標識が付けられた駐車禁止の看板は無視して、車を止めて降りてみた。夕方になれば夕日の眺めも美しいらしいが、この天候では夕日には期待できないだろう。しかし、心配された雨はほぼ止んでいる。よしよし、運が開けてきたかと思いきや――ここで、悲劇は起きた。

海はうねり、波は高かったものの、岸まで押し寄せる波は消波ブロックに阻止され、道路沿いに造られた護岸壁まで到達するほどの勢いではないように見えた。従って、護岸壁に設けられた階段を下り、道路の高さよりも一メートルほど低くなっていた岸に出ても安全だと思われた。それならばと岸に降り、消波ブロックと護岸壁の間に立って写真を撮ろうとしたそのときである。

悲劇の瞬間

ざっぱっ〜ん

この写真が撮られてから推定 0.1秒後、文字通りの効果音とともに、どういうことが起きたのかは、ご想像にお任せしよう。
しかしまあ、あの瞬間によくこんな写真が撮れたものだと、我ながら思う。



さっそく海の手厚い歓迎を全身に受ける羽目になったものの、眺めは良く気分はむしろ爽快だ。

千畳敷
荒海を眺めながら沿岸の県道をさらに進むと、千畳敷せんじょうじきという名勝に到着する。平らな岩盤が、階段状、場所によってはスロープ状になって海に突き出しており、そこに波が押し寄せるという場所だ。

静的な風景だけでも美しいところだが、ここは海洋のダイナミックな美しさも兼ね備えていた。地響きのような轟音とともに沖からうねりが押し寄せてきては波となって岩にぶつかり、高さ数メートルの巨大な飛沫になって砕け散る。

最初は、これだけでも十分に迫力のある光景だと思えた。だが、こんなものはまだ序の口だったことが後に判明する。

なぜなら、千畳敷のすぐ近くにある三段壁さんだんべきでは、もっと凄まじいことになっていたからだ。

三段壁

懸崖と海がぶつかり合うこんなところなのだが・・・

三段壁の大波その1 三段壁の大波その2

うち寄せる波が岩にぶつかると壮大な飛沫が舞い上がリ、霧雨のように海に落ちる

三段壁の大波その3

際どいところで見物していた友人――落ちたら間違いなく一巻の終わりだ

撮影場所

以上の写真も、やや命がけな場所から撮影した(人がいるところ)

自殺の名所?

投身自殺の名所らしく、制止の立て札や慰霊碑もあった

洞窟

行かなかったが、岩には洞窟があってエレベータで中に下りられるらしい



このあと、外湯の温泉に浸かったりして、予約しておいた民宿に向かった。ほかに宿泊客はおらず、実質的には貸し切り状態だ。

「今日は海にも入れなかったでしょ」と女将さん。
「こんな天気の中わざわざきてくれた代わりに、料理はオマケしといたから」

言葉通り、出てきた料理は払った料金から期待されるものよりも遙かに豪華なものだった。食べきれるかどうか心配になるほど盛られた新鮮な刺身に、魚の塩焼きなど・・・満足というほかない。波浪警報が出ていたこの日の海水浴場には、当然のように「遊泳禁止」の看板が立てられていた。しかし、元から海水浴の予定はなかったから、それはまったく障害にはならなかった。高波のおかげで迫力のある風景を眺めることができたし、屋外で行動しているあいだは運良く雨が上がっていたら、むしろ天候には恵まれていたと言うべきだろう。

色んな面で、台風様々の一日だった。



翌日は、目を覚ましたときから大雨が降っていた。白浜町内では、沿岸の県道の一部で波が護岸壁を越えて道路にまで達していたために朝から通行止めに。ニュースでは、JR紀勢本線の運転見合わせや、道路の通行規制などの情報も流れている。もう少しゆっくりとしていきたかったが、これはとっとと帰った方が安全だと判断し、早々に帰路に就いた。しかし、台風の移動速度よりも車の方が圧倒的に速い。国道42号線を少し北上しているうちに天候が回復してきたので、途中で少し寄り道をし、御坊市と隣接する美浜町の煙樹ヶ浜に立ち寄ってみた。さすがに波は高い。ズゴゴゴゴという轟音とともに波が押し寄せては浜辺で砕け散る、見ていて飽きない風景だった。

煙樹ヶ浜

鉛色の空に薄く緑がかった海、それに砂利のコントラストが美しい

せっかくここまで来たのだし、まだ午後にもなっていなかったので、そのまま幹線道路に戻って一直線に帰るのももったいない。敢えて国道から外れて、山の中を通ったり沿岸に出たりする九十九折りだらけの細い道をドライブしながら、和歌山市に立ち寄ってみた。時刻はちょうどお昼時、かの有名な井手商店のラーメンを食べるのだ。出汁はドロドロ。スープの醤油が少し濃すぎる感じもしたが、風味は悪くなく、なにより和歌山のラーメン屋には必ず置いてあるという「なれ寿司」こと、鯖の押し寿司が美味かった。これがラーメンとなぜか良く合う。

和歌山でゆっくりとしているうちに台風が追いついてきたのか、次第に雨足が強くなってきた。食後にコーヒーを一杯やってから、大阪に戻った。



2001/09/22 公開
2001/10/01 HTMLタグが変だったところと文章を少し修正


制作 − 突撃実験室