ケガのかんさつ日記


1999年8月6日20時10分頃



左手の人差し指に写真のような窪みを作ってしまった。


1999年8月7日0時17分



シャワーを浴びるために絆創膏を剥がそうとしたら、一旦は止血されたように見えた傷口から、また鮮血がしみ出してきた。

この様子では、シャワー中も絆創膏による保護が必要と判断。指ごとサランラップで包んで、シャワーを浴びる。


1999年8月7日20時50分



事故発生から24時間以上が経過し、出血がほぼ止まった。昨晩の就寝前に貼った絆創膏を剥がすと、指の肉、そして毛細血管らしき赤い筋が露出する。

だが、その絆創膏はアロンアルファで接着したかのように、傷口に張り付いていた。少し引っ張っただけで、ただならぬ激痛が走り、それは、平素の生活における「痛い」の感覚とはまた趣を異にするものであった。小さな痛みの粒が数億個結集して一つの苦痛と化したような、電撃的な感覚なのだ。

生憎ながら、これを一気に「びりっ」と剥がす根性は持ち合わせていない。というか、通常の精神状態では、絶対に不可能なことである。結局、1時間ぐらいかけながら流水の中でふやけさせ、慎重に剥離させた。尤も、傷の写真よりも、爪を立てながら歯を食いしばり、顔を引きつらせる自分の方が見物だったかも知れない。


1999年8月8日



傷口が広いだけに化膿の可能性を考慮し、不本意ながらもテラマイシン(抗生物質製剤)を塗布する。こいつは菌の細胞膜に作用して細胞を破壊するらしいが、哺乳類の細胞に対しても同様の毒性が認められるらしい。

作用機序はともあれ、医薬品そのものが余り好きではないので、使用は必要最小限に止めたい。

傷口にはこれといった変化が見られないため、写真は割愛する。


1999年8月9日20時45分



事故発生時より3日以上が経過し、傷がかなり治ってきた。ナメック星人のようにはいかないが、意外と早い。ご覧のように周囲から新しい皮膚が再生し、最大径で13ミリあった傷口も、10ミリ程度にまで縮小した。しかし、残りの10ミリは生肉のままであり、完治までにはまだ暫くの日数を要するだろう。


1999年8月13日



ちょうど一週間で、傷口はこのようになった。周囲からは新しい皮膚などが再生しているものの、最も深く切った中心部は未だに生肉のままで、まだ痛い。

どうやら無意識のうちに左人差し指を使わないように心がけているようで、使用率が大幅に減少している。動かさないためか、一日が終わると指の関節に倦怠感があるのだ。よく考えれば怪我をしたその日には、この指を使わずとも普通にキーボードが打てるようになっていた(中指が役割を代行)。別に意識しているわけではないのに、人間の適応力というのは凄いもの。


1999年8月27日



傷を作ってから3週間、このようにほぼ完治した。しかし、真ん中の最も深く切ったところには、未だ小さな瘡蓋が着いている。この瘡蓋は、8月13日の写真にある赤い部分が徐々に乾燥して形成され、次第に小さくなっていき、現在の状態に至ったものだ。

瘡蓋は、元々写真中心部のように赤い色をしており、傷に密着していた。時間が経つにつれ瘡蓋の下で新しい組織が完成されると、不要となった瘡蓋は周囲から白っぽく乾燥して浮き上がってくる。その部分は邪魔なので、カッターナイフで3日に一度ほど削っていった結果、この大きさになったのだ。

あと数日で、残っている瘡蓋も全て剥がれ落ちるだろう。だが、(写真では分かりにくいが)傷痕は少し窪んでいて、おまけにケロイド風の質感である。元通りには治ることは無いだろうが、さて、どれぐらいまで美しく修繕されるだろうか。


1999年10月11日



前回の更新から、1ヶ月以上が経過してしまった。今回で最後にしようと思い、完治を待っていたのだが、そうと呼べる状態に至るまで相当の時間を要してしまったのだ。皮が完全に貼るまでは早かったのだが、それ以降は極めて緩やかに周囲と同化し、やっと上図のようになった。

ご覧の通り、いまだに傷の輪郭は明確に残されている。元々の傷口は、現在ケロイド的な質感になっており、周囲の皮膚と見比べれば、その違いは明らかである。このまま長い月日が経てば、いま以上に目立たなくなる可能性は残されているだろう。しかし、周囲の皮膚と完全に均質化することは、まずあり得ない。

注意一秒怪我一生とは、よく言ったものだ。



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