乾電池でゆで卵
図表にはPNG形式の画像を使用しています。
ある日のことだ。
Fast & Fast の Webmaster が、妙なことを言い始めた。
F&F「単一のアルカリ乾電池一本でゆで卵を作れると思う?
突撃「……………
唐突に何を言い出すのかと思ったら、また無茶なことを……
たかが乾電池である。乾電池にそんなエネルギが詰まっているとも思えなかった。
突撃「それ以前に、電池ってそんなエネルギが詰まってるもんかねえ?
F&F「ん〜、どうだろう。でも単一のアルカリってけっこう持つよ?
突撃「それにしてもねえ……水ってなかなか沸かないし……
これは実験あるのみ、か。
そもそも「
ゆで卵を作る」というからには、
卵が水に浸かっている状態で、その水の温度を上昇させることによって、卵が硬化するまで加熱しなければいけない。ちょっとインチキして、卵にヒータをグルグル巻いて加熱してしまえば余分な水まで温める必要がないので加熱の効率は良さそうである。しかし、これでは茹でたことにはならないから反則だ。そこで、この実験は以下のような条件を満たす方法で行うものとした。
- 室温(おおよそ摂氏20度)の水を加熱して、卵を硬化させるものとする
- 熱源は、東芝電池製の単一型アルカリ乾電池 (JIS C 8511 LR20型) 一本のみを使用する
- 卵は、農林水産省規格L (卵の重量が 64g 以上 70g 未満) の生卵を使う
ところで、ある質量の物体をある温度まで加熱するときに最低限必要となる熱量は、その物体の比熱 (たとえば水なら 4.2J/gK) により自動的に決まる。したがって、エネルギ源となる電池によってそれ以上の熱を発生させられれば、その電池でゆで卵を作ることは理論上可能だと言えるし、そうでなければ絶対に不可能なのだ。有り体に言ってしまえば、結果はやる前から分かっているようなものだ。
しかし、ここは
敢えて理屈は抜きに、むしろ
神風を頼りに出たとこ勝負でやってみようではないか。
神風はきっと吹くと信じて、容器を作る
まず容器の選定を行った。卵が入る大きさでできる限り小さいものが好ましく、湯飲みやケーキカップなど様々なものを候補に上げていたが、結局
100ml のビーカを使うことにした。選定の理由は、ほかに手頃なものが見つからなかったからという消極的な理由だけれど、極端に大きすぎるわけでもないので、まあ良いとしよう。
効率的な加熱を考えるときには、
加熱ばかりでなく保温にも神経を使わなければならない。自然放熱によるロスは無視できない問題であり、せっかく加熱したものが冷めてしまっては、目も当てられないからだ。そこで、右写真のように、発泡スチロールの円柱にビーカがすっぽりと入る大きさの穴をくりぬいたもの作ってみた。もちろん、蓋もちゃんと作ってある(写真奥)。
試しに、約65度の水 100ml をビーカに入れて約20度の部屋に30分間放置するとき、裸の状態で机の上に放置した場合と、保温容器の中に入れて放置した場合とで水温の変化を比較してみた。
簡単なものだが、効果は十分に認められる。
神風はきっと吹くと信じて、電池ホルダを作る
電池ホルダなんか売っているだろうと思われるかも知れないが、市販品はヘボすぎて使えない。
一般的に市販されている電池ホルダは、電極に使われているバネの抵抗や接触抵抗が意外と大きく、あまつさえ使われている電線も細いものが多いため、下手すればそれ自体が数百ミリオームの抵抗として機能する。たかが小さな抵抗だとはいえ、1.5V 程度の低い電圧でゆで卵のヒータといったものに数アンペアオーダの電流を流そうというときには、この抵抗によるロスも馬鹿にはできない。市販されているナイロン製の電池ホルダを使って大電流を流したときに、発熱でナイロンを溶かした経験をお持ちの方もいることだろう。
そこで、シャコ万のお出ましだ。
まさに電池からエネルギを「絞り出す」という目的を体現したかのような図
絶縁と滑り止めを兼ねてシャコ万に円形のゴムシートを張り付け、電池の両極には電極として丸形の圧着端子を共締めするという寸法だ。右の写真は、端子部を拡大したものである。圧着端子は、プラス極とマイナス極に、それぞれ日本圧着端子製造の 1.25-8 と 1.25-6 を使った。電池のプラス側にある「出っ張り」の直径は 8.5φなのだが、これに 1.25-8 の圧着端子がまるでそれ専用に設計されたかの如くすっぽりと入るのだ。
ちなみに圧着端子の上に無理やり半田付けしてある細い線は、電池電圧測定用に後から付けたもの。
神風はきっと吹くと信じて、ヒータを作る
肝心要のヒータが後回しにされたのは、これが最大のネックとなったからだ。ヒータとはつまるところ抵抗器であり、逆に言えば電子部品の抵抗器もヒータであるから、酸化金属皮膜抵抗をヒータ代わりに使うことにした。が、その抵抗値は一筋縄では決められない。「教科書的な理想状態」では、電池や線路のインピーダンスも加熱後の放熱もゼロと見なせるので、それこそ何メガオームの抵抗を使っても卵が腐るまで待てばお湯は沸く。しかし、残念ながら現実はそうも美しく転ばない。どこかに最適値があるはずなのだが、どう計算すれば良いのかすら分からないのだ。
こうなりゃ細かいリクツは抜きにして試行錯誤と第六感に頼るしかあるまい。安定化電源で安定な 1.5V を作り、2Ωの抵抗を何本か用意して並列に接続していくことで色んな抵抗値を作りながら、どの程度暖まるのか試してみた。その結果、2Ωでは「人肌」が良いところ。1Ωでも、大したことはない。4パラにした 0.5Ωで、やっと「あちち」というヒータらしい根性のある暖まり方をする。0.5Ω以下でなければお湯は沸かせないとは言えないだろうが…… 1.5V という低い電圧は侮れないことを身にしみて感じる。
取り敢えず、ヒータの抵抗値は 0.5Ωと決め、1Ω 3W の酸化金属皮膜抵抗を 2パラにしたものを作った。本題とは関係ないが、ヒータは食品に触れることから鉛フリーを使ってみた。普通の半田よりも融解温度が高いようでノリが悪く、とても付けにくい。
神風はきっと吹くと信じて、データロガーを作る
製造系とは直接に関係ないが、ゆで卵の出来具合を確かめるためには測定器も必要だ。
そこで、水温や電池電圧を計測してパソコンで記録できるデータロガーを作った。至って簡易的なもので、シングルチップマイコンである PIC16F876 に内蔵された A/D 変換器で温度や電圧を読み取って RS-232C でパソコンに送るというだけのものだが、こんなものでもけっこう使える。絶対制度にはあまり拘らず突貫工事で適当に作った割には、何故かデジタルテスタ並の精度が出た。
リレーが載っていることに気付いた方もいるだろうが、これはヒータの温度制御もやろうと思って付けたものだ。しかし、結局使わなかった。
温度計には National Semiconductor の LM35DZ を使用した。摂氏1度に対してリニアな 10mV の電圧が得られ、TO-92 パッケージなので水温を測るような用途には打って付けの使いやすいICだ。足にフラットケーブルを半田付けしたあと熱伸縮チューブで絶縁し、さらに水の中に入れて使えるようにエポキシで固めて防水してある。
さらにソフトも作って完成。ヒータに流れる電流や消費する電力は、電池電圧と負荷の抵抗値から計算して表示しているだけ。
神風よ、その力もて卵に熱を与え給え
そんな神はまずいないと思われるが、ようやく乾電池ゆで卵製造釜が完成した。あとは加熱するだけである。
卵は、
コンドームに入れてあったりする。抵抗値を決定する予備実験において数時間ほど通電していたら、抵抗か半田かが水中で分解して水が混濁し、おまけに訳の分からない沈殿物が生成するという事件が発生した。そんな環境で茹でた卵を食べるとなるとちょっと躊躇うものがあるので、その対策としてコンドームに入れたわけだ。また、温度計を卵に密着させるという目的も兼ねている。
そして通電。データロガーの数値を監視しながら待つこと数時間…… 結論から言うと、
敢えなく玉砕した。
神風は味方せず
3時間半ほどかけて、できたものはこれである。
ちょっと生暖かいが、どう見ても生卵だ。一応、
どうにかして茹でようという最大限の努力は払ったつもりなのでこれも一種の「ゆで卵」なのだと言いたいところだが、やはり誰に聞いてもそうであるとは認めてくれないだろう。ゆで卵が難しいならせめて温泉卵ぐらいにはなって欲しいと思っていたが、それすら能わず。
データロガーで記録しておいたデータを、グラフにしてみた。
水温に注目してみると、加熱開始より3時間ほどかけながら温度は緩やかに上昇していったことが分かる。水温が最も高くなったのは加熱開始から172分後のことで、そのときの温度は摂氏42度だった。ところがこのとき以降は、放熱が加熱を上回り温度は下がる一方となってしまった。卵は、70度〜80度で硬化すると言われるので、とてもではないが、こんな温度でゆで卵を作ることはできない。
電池電圧は、放電開始前の開放状態では 1.595V であったが、負荷を接続してから約一分後の閉路電圧は 1.286V となった(グラフ左端のがくんと落ちているところ)。この電圧降下は電池の内部抵抗に因るものだが、0.5Ωの負荷でも 1.286V の電圧を維持でき、電池も殆ど暖まらないことから、新品の単一アルカリ乾電池の内部抵抗は非常に低いことが分かる。もっとも、さすがに 0.5Ωの負荷では電池の消耗は速く、JIS C 8511 に規定された終止電圧 0.9V をもって「電池が終わった」というならば、その電圧を下回ったのは通電開始から 115分後のことだ。
水温が最大になった 172分後には、電池の電圧は既に 0.749V まで降下していた。ところで、この時点でヒータが消費していた電力は、計算上約 1.122W である。つまり、ヒータがこれ以上の電力を常に消費していれば水温は上昇し続けるものと考えられ、1.5V のときに 4.5W の電力を消費する 0.5Ωという抵抗値は低すぎたのかも知れない。もっとも、その程度の電力で期待できる水温の上昇は僅かだろう。温度が上がるまで長い時間、電池の電圧が維持されれば良いが、やってみる価値はありそうだ。
ところで、ヒータの抵抗をうんと小さくするとどうなるのか? 敢えて 0.165Ω (0.33Ωの酸金2パラ) まで下げてみた。
ご覧のように、0.5Ωのときよりもさらに加熱性能が劣っており、最高温度も加熱開始から82分後の摂氏37.5度にとどまった。この時点で電池電圧は既に 0.536V まで降下しており、もう半分死んでいるようなものである。しかも、0.165Ωといった負荷では電池そのものもかなり暖まる。電池の発熱も卵の加熱に寄与できるのであれば話は別だが、これではその熱が全て無駄になる。対して、0.5Ωの抵抗で加熱した場合でも、82分後には水温が38.35度まで上昇しているし、そのときの電池電圧も 0.957V とまだまだ元気だ。初めのうちに極端な大電力で一気に加熱すればどうなるかと思ってやってみたが、そのメリットは見当たらない。
課題を山積みにしたまま、第一段階は取り敢えずこんなところで終了。
2001/02/25 公開
2001/02/27 文章ミスを訂正